「伊能忠敬が幼少期を過ごした九十九里浜」
小関家に残った三治郎(伊能忠敬)が、どのように過ごしたかは良く分かっていません。一説には漁業を営んで
いた小関家の漁具納屋の番人をしていたといわれています。
家業の手伝いをしていたと言えば聞こえは良いですが、そのころの三冶郎は10歳前後の子供です。普通では考えづらい
ことです。その話が事実なら小関家を継いだ叔父と折り合いが悪くなっていたのかもしれません。
あるいは、三治郎の方が漁具納屋で過ごすことを気に入っていたのかもしれません。
いずれにしても、三治郎は小関家の一員ですから当時の基礎教養である読み書き・そろばんの類は勉強していたと
思われます。伊能忠敬の勉学好きはこのころに培われたのでしょう。
三治郎の小関家での暮らしも11歳の時に終わりました。父のいる神保家に引き取られることになったからです。