伊能忠敬あれこれ「三治郎の結婚」

IMG_2944_800                        伊能忠敬記念館前

土浦の医者の下で勉学に励んでいた神保三治郎(数え18歳)に下総佐原の酒造家・伊能家への婿養子の縁談が来ました。

伊能家は10年ほど当主不在の状態が続いていました。この縁談を持ってきた平山季忠は伊能家、神保家とも親戚で、

子供の頃からの三治郎を良く知っていました。また、伊能家の次期当主にはしっかりとした人物でなくてはとも考えていました。

三治郎は平山季忠のめがねにかない、伊能家の跡取り娘ミチとの縁談となったのです。

この話には父の神保貞恒は喜びましたが、当の三治郎はあまり乗り気ではなかったとの説があります。

もっと、学業に励みたいと思ったのでしょうか。これで自分の人生が決まってしまう事に若者らしい不満を持ったのでしょうか。

それとも、相手のミチが4つ年上で子持ちということに不安を覚えたと勘ぐるのは現代的な見方に過ぎるでしょうか。

ともあれ、周囲の勧めもあって三治郎は結婚し、名前も伊能忠敬となりました。宝暦12(1762)年でした。

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