伊能忠敬あれこれ「小堤(おんづみ)での日々」

F1000010_640                小堤(おんづみ)の近くにある銀杏の木

三治郎(伊能忠敬)は11歳の頃から父の実家の神保家がある小堤(現在の千葉県横芝光町)で過ごしました。

神保家は小堤村の名主で松尾芭蕉に連なる俳諧の家筋で江戸との文化交流が盛んでした。また、この地方は経済活動が盛んなことから実学としての和算が流行していました。三治郎はそのような環境で10代をすごしていきます。

ある日幕府の役人が神保家に来ました。その役人が計算しているところを見ていた三治郎はその算術を理解できたそうです。三治郎は才気のある子でした。

そんな三治郎を父の神保貞恒はもちろん、父の兄である伯父の宗載(むねのり)も目を掛けます。二人は三治郎に数学の他、漢学、儒学なども学ばせます。

伊能忠敬は五十代になっても勉学に励んだことから「晩学」の代表のように言われていますが、その学問の基礎はこの時期にも培っていたのです。

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